高校受験勉強をしている多くの中学生が頭を悩ませることの一つに、「同じ問題集や参考書を何度も解いて1冊を完璧にするのと、多くの問題を解くという勉強法のどちらがいいのだろうか?」というのがあるのではないでしょうか。
これは、その生徒の学力レベルや志望校の難易度、教科によって違うので、はっきりいって人それぞれと言えるのですが、それだと話が終わってしまうので、私なりの意見を書きたいと思います。
実は、私は学生時代に参考書1冊を完璧にすることも、多くの問題を解くということもどちらも勉強方法として行っています。
その結果としては、入試でどちらの方法も満足いく点数を取ることができました。
真逆の勉強方法なのにどちらも満足いく点数というのはどういうことだろうと思う人もいるかもしれませんが、これはそれぞれ教科が違うからです。
どちらも大学入試での勉強を例に話をすると、1冊を完璧に仕上げた科目で最も好成績だったのは国語の漢文です。
非常に小さくて薄い参考書(1冊数百円)を完璧に理解・覚えるまで勉強しました。
実際は、漢文の参考書はもう一冊買っていたと思うのですが、勉強したのはその小さな参考書のみと言っていいレベルです。
この参考書で漢文は1問も間違うことなく全問正解でしたので、参考書1冊を極めるということの力を感じた試験でした。
一方で、多くの問題を解くという勉強をして成功したのは数学です。
数学自体が他の人よりも得意だったということもあり、基礎学力があるという前提もあったのですが、教科書・参考書・問題集の各問題をノートに解きまくりました。
ノートにきれいに書くとか、まとめるというような感じではなく、まさに「解きまくった」という感じで、行を無視してなぐり書きみたいになっていることもありましたね。
そのような書き方なので、数学のノートはかなりの量になりました。
ノートというよりも計算用紙として使っていた感じです。
そのような勉強を続けて、大学入試センター入試(現在でいう大学入学共通テスト)での私の点数は平均点の2倍弱でしたので、まぁ~個人的には成功と言える結果だったと思っています。
このような勉強をして現役で国立大学に合格し、進学したわけです。
参考書や問題集を1冊使って何周もして、同じ問題を理解できるまで何度も解くのと、多くの問題を解くのとどちらがいいのかというと、私としては暗記科目であれば、まずは1冊を完璧にする方がよくて、計算が必要な科目であれば多くの問題を解く方がいいと思います。
これは私の実体験を踏まえた上での結論と言えるのかもしれません。
この議論は賛否両論あることから、私の意見と合わない考えの人も当然たくさんいらっしゃるわけですが、仮に私の考え方と合わない人がいたとしても、私としてはその人の考え方を否定するつもりはありません。
それぞれ自分で経験してきたり、塾や家庭教師などで他者に教える中でそれぞれの結論に至ったわけでしょうから。
ちなみに、私としては、数学は多くの問題を解いた方がいいという考え方なのですが、わからなかった問題をそのままにして、次の問題を解くという意味ではありません。
あくまでも解答・解説を見た後に自力で1度はその問題が解けるということが前提です。
他の人たちはどういう意見なのだろうかと思って、ネットで調べてみたのですが、私が「ざーっと」調べた感じでは、多くの人が教科に関わらず1冊を何周もして、何度も同じ問題を解いた方がいいという意見でした。
へ~そうなんだ。
個人的にはちょっとびっくりしましたが、それが多数派であれば、私は少数派なのかもしれませんね。
異なる意見も尊重しますので、それはそれでいいと思います。
では、なぜ私が数学などの計算問題は多くの問題を解いた方がいいと思っているのかというのをお話ししたいと思います。
一つ目の理由は、参考書や問題集を1冊に絞るのは本を見極める高い能力が必要だからです。
つまり、その本が他の本よりも自分の成績にとって、もっともプラスになる本であるということを見極める高い能力が必要だからです。
人気がある本があなたにとって最も良い本とは限りませんからね。
先程、漢文の話をしましたが、私も暗記科目は多くの本を見るより、少ない冊数や1冊を完璧にした方がいいと思っています。
そうなると、暗記科目でも参考書などの本を見極める高い能力が必要になるではないかという意見があると思います。
確かにどの科目も自分の成績を向上させるために最もよい本を選ぶ能力が必要なのですが、数学はちょと特殊だと思います。
高校受験の平均点を見ると、全部は調べていませんが、ほとんどの都道府県で数学の平均点がもっとも低いのではないでしょうか。
他の科目と比べても受験勉強で数学にかける時間は英語と並んで相当長いにもかかわらず、他の科目よりも平均点は低いと感じます。
各都道府県の試験問題の作成者が数学の平均点だけ他の科目よりも低い点数をターゲットにしているということでもないでしょう。
1冊を完璧にするという勉強方法で5教科勉強し、数学は他の科目よりも勉強時間を相当増やしたり、塾や家庭教師をお願いしたりしているのに、平均点は他の教科に及びません。
そのような難しい数学を1冊の本で勝負に出るというのは個人的にリスクを感じます。
本選びに失敗したらどうするのか、途中でやっぱりこの本よりも別な本の方がいいなと思った時でも、「1冊の本をやりきらないといけない」という意識から別な本に手を出せないことにつながるかもしれません。
私はこのリスクは大きいと思います。
暗記分野の代表である英単語を例にすると、同じ単語であれば、本が違っても極端に内容が違うというほどでもないのではないでしょうか。
もちろん同じ単語で本によって意味の数が違ったりすることはあるので、全く同じということではないのですが・・・
英語も平均点は低いぞと言われれば「そうですね」としか言えませんが・・・
ただ、さらに年齢が上がっていって大学入試になると数学と英語にも差が出てきて、結局は数学の方が平均点が低いんですよね。
もう一つの理由は、数学の問題を本1冊の問題数でカバーするのは難しいと思うからです。
私は参考書や問題集に掲載されている問題は分野別になっていることが多い印象を持っていますし、何より問題数が少なすぎます。
しかしながら、高校入試で実際に出題される問題を見ると、複数の分野が混ざった複合問題が出題されることも多いですよね。
そのような問題を解くためには多くの問題に挑戦し、経験値として蓄積しておく必要があるのではないでしょうか。
それぞれの分野の基本ができていれば、複合問題も解けると思うかもしれませんが、そう簡単ではないだろうと個人的には思います。
その理由は、例えば公立高校入試問題(数学)の難易度の高い問題の正解率を見るとわかります。
都道府県によっては問題ごとの正解率を公表していますが、複合問題で難易度が高くなると、正解率1%もない場合もあります。
つまり、ほぼすべての生徒が正解できていないということです。
ここまで正解率が低くはないとしても、複合問題になると正解率10%を下回ることもありますよね。
1冊の本を何周もしていると、解き方を理解するというよりも、「式も答えも暗記してしまう」と言って、この勉強方法でいいのかとネット上に悩みを相談する人もいます。
問題を見た瞬間にもう答えがわかってしまうわけです。
この状態をいいと思うか思わないかは人それぞれでしょう。
一方で、同じ問題を何度も解くことで、その参考書の問題を見た瞬間に式(解き方)も答えも頭に浮かぶようになったと喜ぶ人もいるのかもしれませんね。
ほとんど同じ問題しか解かなかった人が、高校入試の初見の問題を解けるのであればそれでいいのでしょうが・・・
ちょっと話がそれますが、野球のピッチャーとバッターを例にしたいと思います。
私がバッターだとして考えると、練習でストレートやカーブ、スライダー、フォークといろいろ投げてくれるピッチャーがいたとしても同じ人が投げるのであれば、それは私にとって同じパターンなんですよ。
同じストレート、カーブ、スライダー、フォークを投げるとしてもピッチャーが違えばまた違うパターンなんですよね。
同じストレートでもA君が投げるストレートとB君が投げるストレートは違うわけです。
数学も同じような考えで、Aという問題集の確率の問題とBという問題集の確率の問題は同じようで同じではないわけです。
硬貨の問題、紅白の玉の問題、数字が書かれた玉の問題、じゃんけんの問題、サイコロの問題、カードの問題などいくらでも問題は作れますし、基本問題、標準問題、難易度の高い問題、超難易度の高い問題など難しさもさまざまあるわけです。
1冊の本を勉強して、正解率5%を下回る問題もすべて解けるのであればそれはすごいと思います。
1冊だけ勉強してさまざまな問題を解けと言われても、私だったら無理です。
それが解けるのであれば、みんな頭いいなぁ~。
もしかすると、1冊を何周もするという人でも最終的にはたくさんの問題を解くということなのかな?
私が思うに、1冊の本を何周もする・何度も同じ問題を解くの意味は、問題の解き方を理解するということが本来の意味だと思っています。
ということは、本当に1冊しかしないのであれば、同じ問題を何度も解くことで理解し、覚えるというやり方であり、私の場合は似たような問題を多く解くことで理解し、覚えるというやり方ですので、どちらにしても解き方を理解するという意味ではある意味同じなのかもしれませんね。
問題の解き方を理解するための1つのやり方として何度も同じ問題を解くという方法があるのでしょうが、「1冊の本だけ」をするという言葉や「何周した・何度解いた」という回数が強調されているように感じてしまいます。
みなさんはどう考えるでしょうか。